『学び合い』の基礎理論
『学び合い』は徹頭徹尾、実証的な学術データに構築されている教育実践です。それ故に、根拠俺の教育実践と異なり、誰がやっても安定した結果を得ることが出来ます。その実践法は数多くの書籍にまとめられています。しかし、その多くは背景となる学術データを割愛して実践方法のみが書かれています。
『学び合い』ではグループを定めません。しかし、クラスの生活班があるならば、それを利用してもいいのではと思う人はいます。
『学び合い』では「説明は不要だ」としていますが、「いくらなんでも説明なしでは無理だ。5分間程度は説明した方がいいだろう」と思う人はいます。
『学び合い』では分からない人は最初から聞きに行っていいとしています。しかし、「それでは何も考えずに質問するだろう。だから、最初の5分は自分一人で考える時間を設けた方がいい」と思う人はいます。
以前の授業実践で大事だったこと、成功したことを『学び合い』にも組み込みたいと思うのは当然です。『学び合い』を自分なりにアレンジすることは「あり」です。しかし、アレンジしていいところと、だめなところがあります。
例えば、カレーを作る際に、ジャガイモやニンジンの量を変えても問題ありません。しかし、塩の量を変えるとまずくなる可能性があります。ましてや砂糖を大量に入れれば別の食べ物になり、おそらくひどく不味いものになります。
アレンジしていいところと、だめなところを判断するには、その実践方法の根拠となった学術データを理解する必要があります。それを学術論文では無く、学術データを学校教師に理解してもらう本を通して学びます。
日々の実践の相談
スポーツでも習い事でもすんなりと学べるわけではありません。失敗し、それを乗り越えて成功したときに身につきます。しかし、その失敗が大事になってはいけません。
多くの教師のお悩み相談を私は受けています。かなりの割合で「おいおい、それやっちまったのかよ」と思うようなことが含まれます。その失敗によって、子ども、保護者、同僚、管理職の信頼を失い、回復ためにかなりの時間を要することもあります。「そこまでになる前に連絡してくれたら良かったのに」と思います。
しかし、それは無理でしょう。だって言語化も出来ないぐらいボヤッとした不安、気になると言えば気になるけど重大だとは思えない子どもの変化、そのようなレベルで見ず知らずの大学教授に相談を出来るだけの人はいません。結局、にっちもさっちもいかなくなるまで藻掻いて、最後に私に相談するのです。
定期的に面談することが決まっているゼミ生だったら、「これこれのことやろうと思うのですが、どう思います?」、「この前、こんなことが起こったんですが、これってどう思います?」という質問が出来ます。
これによって失敗を最小限にして、成功に結びつけ、身につけることが出来ます。
今後の社会について
『学び合い』を実践し続けるとやがて身体化します。そうなると私の本で書いているような方法を使わなくて『学び合い』が実践できるようになります。例えば、私はゼミ生に対して「一人も見捨てるな」と言ったことがありません。ネームプレートを使ったことも無ければ、可視化のテクニックを使ったこともありません。
この段階に移行するには「多様な人と折り合いをつけて、自らの課題を解決することが得だ」ということを心の底から信じていなければならないのです。そのためには、これからの社会がどのような社会で、その中で生き残るためにはどのように行動すべきかを理解する必要があります。
そのようなことを理解するためには一般の教師が一生涯読むことも無いような本を読み、私と議論することが必要なのです。ゼミ生の質問に対して、生物学、物理学、経営学、歴史学等の知見を元に、これからの社会とその中で生き残る行動を明らかにします。
人生相談
ゼミ生はありとあらゆることを質問してきます。例えば「いつ、彼女にプロポーズしたらいいか?」、「苦手な先生とどのように付き合ったらいいか?」、「離婚することをどう思うか?」等々です。
『学び合い』は授業方法にとどまらず、ホモサピエンスの生存戦略です。だから、ありとあらゆる場面に適用することが出来ます。私は「今後の社会」を説明するのと同じく、生物学、物理学、経営学、歴史学等の知見を元に説明します。
もちろん、それらで説明付かない質問もあります。その場合は、ゼミ生を愛している一人のオッサンとして誠実に語ります。
多くのゼミ生は『学び合い』の基礎理論、日々の実践を学びに西川研究室の門をたたきます。しかし、多くのゼミ生はそれを半年程度で乗り越えることが出来ます。なぜなら『学び合い』は完成度の高くシンプルな理論と実践法で構築されているからです。
大学・大学院での学びとは、入学前には疑問にも思わなかったことを疑問に持ち、それを学び、使いこなせることだと思っています。